とらひこ先生

6 福の神のゆううつ



伊尾木川を車で30分ほど遡ったあたりに小さな食堂がありまして
峠の茶屋と目立たぬ看板がかかっておりました。

そこのおかみさんが「あんたは福の神だ。」と言うのです。

ゴクツブシの貧乏神のとはしょっちゅう罵られておりまして
まあ当っているだけに べつに抗うこともなく その通りだと得心しておりました。

ところが福の神なんぞと言われるのは生まれ落ちて以来初めてのことで
尻のあたりゃあむず痒く あまりのことにさすがのオイラも顔あからめました。

「あんたがおいでると不思議と続いて客が来る。」とこう言うのです。

おだてられりゃあ すぐ木に登り 勝手な思いこみはひとに増して強い方です。
それでも始めのうちはまさかと思っておりましたが 
2度、3度と言われるうちだんだんその気になり 
そういえばアノ店でもコノ店でも・・・

なんだオイラ福の神だったんだ。
もうすっかり 確信致した次第です。


いい心地で舞い上がっていましたが
福の神だったら なぜ本人はこんなに貧しいんだい・・・。
と何にも増して重要な命題にブチ当たりました。

で 詰まりの良くない頭をカラカラ振りながら深く考察し
分析することにいたしました。

昔の話に登場します福の神は決まってジイサンで身なり小汚く腹を空かせています。
そしてまず欲張りジイサンバアサンを訪ね、断られ
次に貧しい正直ジイサンバアサンの家にいき そこでなけなしのマンマの接待を受ける。
その後 欲張りジイサンバアサンの家は落ちぶれ 正直ジイサンバアサンのとこはいや栄に・・。
と ほぼこういうパターンです。
欲張り正直の段は取って付けたように説教臭く参考になりませんが・・・


ミソサザイ
なにか いいことないかいな! 昔話は少なからず事実を反映してると言います。
ジイサンというのはシャクですが情けない身なり風体・・ 
こりゃあそのまま条件にあてはまります。

訪なった家が裕福になるのは福の神がその家の貧乏の素を
クルクルと縛り上げ 芝担ぐように持ち出していると考えられなくもありません。
その為 どの昔話の福の神もヨレヨレです。
・・・福の神は悲しからず哉・・・

と 考え至りますといい気で浮かれておりましたオイラの気分
すっかり「限りなく濃紺に近いブルー」になってまいりました。

次の年 峠の茶屋へ行きますとえらくオシャレに改築し
看板も大きくなっていました。          
                        ・・・ ヤレ ヤレ ・・・
 


       伊尾木川・・・高知県東部安芸市を流れ 昔から鮎の川として名高く 井伏鱒二もこの川を訪れています。
                 その頃はこの川に限らず日本中どこの川も夢の中のような川だったことでしょう・・・。



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