14 井口村事件
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過去は不気味であると同時に 何故かくも懐かしいのか 安岡章太郎著「歴史への感情旅行」新潮社刊(帯文より) |
幕末の土佐で上士と下士の刃傷事件がありました。 井口村事件と呼ばれる出来事です。 この事件の処理への不満が契機となり土佐勤王党が生まれ、 維新への流れになったとも言われています。 たまたまその事件に巻き込まれ、 不条理にも詰腹を切らされた宇賀喜久馬という少年侍がいます。 寺田寅彦の叔父に当たる人で、その介錯の首をはねたのが喜久馬の兄、寺田利正、 寺田寅彦の父です。 |
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安政時代の土佐の高知での話である。 刃傷事件に座して、親族立会の上で詰腹を切らされた一九歳の少年の祖母になる人が、愁傷の余りに失心しようとした。 居合わせた人が、あわてて其場にあった鉄瓶の湯をその老媼の口に注ぎ込んだ。 老媼は、其鉄瓶の底を撫で廻した掌で、自分の顔を矢鱈と撫で回した為に、顔中一面に真黒い斑点が出来た。 居合わせた人々は、さういふ極端な悲惨な事情の下にも、矢張りそれを見て笑ったさうである。 引用 「寺田寅彦全集第一巻」岩波書店刊339p |
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寺田寅彦が井口村事件について書き記しているのは、200字程のこの文章だけだそうです。 岩波書店「寺田寅彦全集1巻」の巻末にー『団栗』の背景についてーと題した解説を書いている安岡章太郎は、 ・・・この短文は一見、何でもない昔話のようだが、ここには寺田寅彦の胸底にある歴史・郷土・血族などへの想いが、 すべて塗り込められていると言っていい。・・・と述べています。 安岡章太郎という作家のしなやかで確かな眼差しには感動するばかりです。 |
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追記 井口村 現在の高知市井口町、高知城より西に約1km程。 引用した短文は、俳誌『渋柿』に寄せたものだそうです。 寺田寅彦と安岡章太郎は、共に宇賀の血を引き親戚にあたるそうです。 安岡章太郎には井口村事件を題材にした「流離譚」という作品があります。 |